山口ブログ" /> 2017年10月: 人生これから

2017年10月12日

えっ、こんなのあったけ

午前中学習支援で錦清流小学校へ
4校時を終え給食をいただく
今日の献立は「ご飯、牛乳、ちぐさ焼き、野菜のゴマ炒め、豚汁」で美味しくいただきました


教育振興フォーラムの発表やプロジェクターの設置などで
午後、本郷小学校の校長先生と打ち合わせ


少し距離は長いが羅漢山経由の帰り道を選択


羅漢山のキャンプ場を過ぎた辺りで見たことない看板が目に入った
新しいものではないので、今まで側を通っても気に留めなかったのだろう

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年季の入った杖が数本たてかけてある
きっと長年世話になった杖だろう
杖に感謝する気持ちだったのだろう


しばし立ち止まり看板の文字を読んだ

杖置地蔵尊由来
羅漢山中には延暦(782年から806年まで)の頃より多くの地蔵尊が祭られて居て、之は此の地方の人々の苦難を救済する目的で民間信仰の中心とされて多くの人々の強い信仰を得て居たのであります。其の中の1体が野田ヶ原峠に鎮座される杖置地蔵尊であります。此の野田ヶ原峠は中国山地の横断道として安藝廿日市市中道、また周防本郷秋中方面より此の峠を越えて石州津和野方面に通づる津和野街道の最大の峠で、廿日市を経て阪神四国方面に通じる要所でも有り、また難所でもありました。人々は此の峠を登りつめると、道の側に有った地蔵尊に自分の使った杖を御供えして旅の無事を感謝しました。また、足や腰の難病息災を祈願した霊験あらたかな地蔵尊として親しまれ、何時の時代からか杖置地蔵尊と言って多くの人々の信仰を得て居ます。
今の度、此の地蔵尊の事が宮島大聖院を経て京都真言宗総本山御室派仁和寺吉田裕信総長の耳に達し、現地の地蔵尊を視察され、此の杖置地蔵尊は誠に由緒有るものと判定され、改めて本地蔵尊を道路側に移し、本堂を建設し、開眼大供養を総長を初め三家寺の御住職が昭和63年5月22日新本堂の前にて大供養を相営み、本地蔵尊を信奉する者一同誠に感激し、盛大に行われた大供養に依り御功徳を得たので有ります。 以上
杖置地蔵尊奉賛会


今のように道が整備されていたり交通機関があったわけでもなく
昔の人の旅の苦労や大変さが伝わってきた


明日は勤務で須々万定期便
雨が上がることを祈って寝よう




  

posted by りょうてん at 17:47| 山口 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする